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渡辺翁記念会館

2017年09月18日

国の重要文化財・渡辺翁記念会館開館80周年記念

「空間の魔術師・村野藤吾の建築」見学会で

宇部市にある渡辺翁記念会館と宇部興産ビルを見学してきました。

・・・・・・・

いきなりですがキレちゃいます・・・

上の正面アプローチからの写真

国の重要文化財の真後ろにマンションの姿が・・・・

私はマンションの設計でご飯を食べさせてもらっている立場ですが

流石にこれはないでしょう。

正面付近から加工無しで撮影するには

間近で超広角レンズを使用するか

こんな撮り方になるそうです。

なんだかなぁ・・・

本題に戻って

ここでは経緯について割愛しますが

村野さんと宇部市はとても関係が深く

宇部銀行(現旧宇部銀行館)・宇部窒素工業(現宇部興産ケミカル工場事務所)

宇部油化工業(現協和発酵)・宇部興産中央研究所

宇部興産事務所・宇部市文化会館

そして亡くなられる前年に竣工した

宇部興産ビル(現ANAクラウンプラザホテル宇部)が現存しています。

また宇部図書館・宇部商工会議所・宇部鉱業会館など

日の目を見なかった建設計画もあったそうです。

1937年に竣工した渡辺翁記念会館(旧宇部市民館)は

村野建築の3つある国重要文化財のうちのひとつです。

高校まで宇部で育った私にとって

この渡辺翁記念会館はとても身近な存在の建物でした。

国の重要文化財となった現在でも

色々なイベントで市民に開放されているようです。

列柱が並ぶ基壇や

建物のファサードを構成する異なる曲率でゆるやかに湾曲する3層の壁は

この会館の重要な構成要素となっていて

モダニズムと様式性が共存する村野建築の特徴です。

断面計画で感服するのが

多くのホールは客席に入るために2階席からアプローチすしますが

この会館は列柱のある階段を上った後は

その高さのまま客席にアプローチできるようになっています。

階段の両サイドにスロープがあるので

完全バリアフリーです。

バリアフリーを意識することのなかった時代の計画

凄いことです。

アプローチしやすい=使い易い

だからこそずっと市民に愛され使い続けられているのでしょう。

外壁に使用されているタイルは

平成4~6年に行われた改修工事でその多くが貼り替えられたそうです。

当初は秞薬に鉄を使用して塩水を利用して焼く?

「塩焼きタイル」だったらしいのですが

公害問題から製造中止となっていて

還元焼成タイルを採用し極力塩焼きの色合いに近づくよう工夫して

再現されたそうです。

中学生の頃だったか

紫色がかった建物が夕日を浴びることで

殊更妖艶な雰囲気に圧倒されたことを

今でも鮮明に覚えています。

そう言えば

白い列柱 当時はコンクリート打ち放しだったなぁ・・・

1階ロビーの円柱は鍾乳洞で有名な秋吉産の大理石を貼っています。

地域の特性を尊重していた村野さんらしい配慮なのでしょう。

中央に並ぶ柱頭は顔料で彩色されていますが

竣工当初は彩色されていなかったそうです。

階段下にあるこのベンチも村野さんによる設計で

竣工当初から80年間ずっと使われ続けています。

重要文化財を惜しげもなく?市民に提供し続けているのにはビックリです。

このホールの音響の良さはミュージシャンの間で

とても高評価と言うことを昔から聞いていました。

それは今でも変わらないそうです。

説明員の方がピアニストの辻井伸行さんにとても気に入って頂き

既に2回リサイタルを行い

近いうちにまた開きたいと言って頂いたと

嬉しそうに話されていました。

村野さんの建築は全体構成の旨さだけではなく

自然光や照明を含めた光の使い方や

ディテール等全てにおいても勉強になります。

当時の照明器具の殆どが村野さんの設計によるものだったそうですが

色々な都合で随分と違うものに取り替えられているようです。

このガラスブロックも当時とは違うものに取り替えられていました。

当時のものは精巧ではないのですが

無骨な造りでなんとも言えない味わいがありました。

屋上にある螺旋階段はル・コルビュジェっぽいと言われていますが

私にはこれぞ村野さんとしか見えません。

記念会館から宇部興産ビルへ移動して

ここでは国際会議場の天井だけ紹介します。

間接照明とダウンライト・シャンデリアの3種類の照明で構成された天井です。

細かいところまで神経が行き届いていて

あまりの美しさに暫く見とれてしまいました。

このように宇部市では行政と市民が一体となって

村野建築の保存に力を入れています。

しかし北九州市では村野建築の一つ

1955年に竣工した八幡市立図書館が去年解体されてしまいました。

多方面からこの建物を解体しないよう働きかけがありましたが

北九州市は断固として聞き入れることなく

解体に踏み切ってしまいました。

とても悲しい事件でした。

そして

取りあえず当面の間解体を逃れることとなった1958年竣工の八幡市民会館。

しかしその内容は積極的な保存とはほど遠い

当面は外観をそのまま残すという消極的なもの。

北九州市の魅力のなさというのは

このような歴史的価値を見極められないところからもくるのでしょうか?

是非とも市民の憩いの場として残してほしいものです。

最後に見学を一通り終えた後の記念公演中に気になったのが 

ホール2階席最前列にある手摺です。

元々の手摺高は55cm

低すぎるために追加されたと思われるスチール製の手摺高は75cm。

現在の建築基準法で定められている手摺高は110cmですが

このホールが竣工した当時にこの規定はありませんでした。

席に座って舞台を見たとき

55cmだと手摺が邪魔することなく舞台全体を見渡せますが

75cm高の手摺は明らかに視線を邪魔しています。

でも微妙に低いので際に立つと若干怖いです。

客席からの視線と転落防止の相反する問題点

担当者が随分悩んでこの手摺を設けたであろう事は

容易に想像できました。